リチャード・アーミテイジ

リチャード・アーミテイジ その2

知日派・アジア通

ベトナム戦争に従軍していて、ベトナム語が堪能です。また、レーガン政権の国防次官補代理職にあった時に、東アジアおよび太平洋地域を担当していたこともあって、知日派として知られています。現在は米国内の知日派政策エリートの保護者的立場にあります。1980年代(昭和55年)の東芝機械ココム違反事件の時には、対日経済制裁に反対しています。

日米間の安定的な安全保障システムの確立に貢献してきたほかにも、椎名素夫・佐々淳行など日本の政治家や官僚たちとの強い繋がりもあります。その一方で、日本の核武装には否定的とされています。FSX開発問題では日本側との調整を担当しています。

日本や東アジア全般の安全保障に関する発言が常に注目を集めています。アーミテージの名が一般に広く知られるようになったきっかけとして、2000年(平成12年)に対日外交の指針としてジョセフ・ナイらと超党派で作成した政策提言報告「アーミテージ・レポート」の存在が挙げられます。この報告書では、日本に対して有事法制の整備を期待する内容が盛り込まれました。

2001年(平成13年)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、日本側にアメリカとの共闘を求めました。この時にいわゆる「Show the FLAG」(旗幟を明らかにしろ)発言があったとされています。ただし、当時の柳井俊二駐米大使は、協力の要請があったことは認めましたが「Show the Flag」という発言は否定して居るます。

イラク戦争開戦時には日本の役割を野球にたとえて「Boots on the ground」と発言したことでも有名になりました。また、2004年(平成16年)7月には日本国憲法第9条を日米同盟の障害とする主旨の発言をして物議をかもしています。また、北朝鮮による日本人拉致問題では、北朝鮮に対する圧力路線を主導していて、2004年(平成16年)4月には北朝鮮のテロ支援国家指定の根拠に拉致問題を明記させました。

2005年(平成17年)6月6日の、『筑紫哲也 NEWS23』に出演した際に、靖国神社参拝について質問されて「主権国家である日本の総理大臣が、中国に限らず他の国から靖国神社に参拝してはいけないと指図されるようなことがあれば、逆に参拝すべきだと思います。なぜなら内政干渉を許してはいけないからです。もう一つは、全ての国が戦死者をまつりますが、それぞれのやり方で良いのだと思います」と主張しています。2006年(平成18年)7月20日の「産経新聞」の取材に対しても同じ認識を示しています。

2007年(平成19年)2月には、政策シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)において再度超党派による政策提言報告「第二次アーミテージ・レポート」を作成して発表しました。日米同盟を英米のような緊密な同盟関係へと変化させて、東アジアの地域秩序の中で台頭する中国を穏健な形で秩序の中に取り込むインセンティブとすることなどを提言しています。

2012年(平成24年)8月には「第三次アーミテージ・レポート」を作成、発表しています。日本が一流国家であり続けるか、二流国家に甘んじるかの重大な局面を迎えていると指摘していて、また日米同盟関係における日本の役割拡大を求めています。

2012年(平成24年)アメリカ合衆国大統領選挙の共和党候補者であるミット・ロムニーが同年8月28日に行った演説において日本に言及する箇所が1箇所しかなかったことは、アーミテージを代表とする知日派の影響力の低下の表れと分析する向きもあります。

ベトナム戦争で

海軍兵学校卒業後は、ベトナム戦争に志願しました。1973年(昭和48年)1月にパリ和平協定が成立すると、戦いを途中でやめるのは嫌だと海軍をやめてしまいます。そのままサイゴンにある米軍駐在武官本部の民間人顧問としてベトナムに留まり、特殊任務についていました。海軍特殊部隊(SEALS)の隊員だったという噂も流れていましたが米国国務省のウェブサイトで否定しています。

いったんワシントンへと戻りましたが、1975年(昭和50年)4月に北ベトナム軍がサイゴンに迫ると、国防省から特定南ベトナム人の救出作戦の実行を頼まれます。ビエンホア空軍基地にヘリコプターで乗り込んで、機密保持のため基地内の機器を破壊しました。そして取り残された南ベトナム空軍の将兵30名とともに砲火の中から脱出することに成功しました。その後に南ベトナム海軍艦艇と将兵及びその家族を率いて、8日かけてフィリピンまで脱出した。(本人の話:このエピソードがランボーの原作になったとも言われています)

論文とインタビュー

  • 1990年12月号『中央公論』・・・「21世紀の太平洋安全保障体制はこうなる」
  • 1994年2月号『中央公論』・・・「文明の衝突は不可避か――ハンチントン論文を駁す」
  • 1994年3月~1995年2月号『中央公論』・・・「ワシントンの仕事師世界をゆく(全10回)」
  • 1996年6月号『外交フォーラム』・・・レーガン政権時代の回想を中心とした手記「日米安保関係の近代化――新しい時代のための新しいパートナーシップ」
  • 1997年12月号『論座』・・・「台湾海峡紛争に日本は行動せよ――きわめて率直な米国のガイドライン観」
  • 2004年3月号『文藝春秋』・・・「憲法9条は日米同盟の邪魔物だ――小泉演説に私は涙した」
  • 2005年3月号『中央公論』・・・「中台緊張は日米同盟で対応できる」
  • 2006年9月号『Voice』・・・「アメリカに助言を与える日本――『最も敬意を表される国』は世界の優秀な世話人たれ」
  • 2010年12月文春新書・・・『日米同盟VS.中国・北朝鮮』 ジョセフ・ナイと、春原剛(日本経済新聞編集委員)との共著

対談

  • 1990年3月号『中央公論』・・・「社会党の真意を質す」
  • 1993年6月号『諸君!』・・・「それでも安保は必要だ――日米防衛蜜月時代に何を学ぶか」
  • 2000年6月号『文藝春秋』・・・「『基地抜き安保』はマイナスである」