ネオコンの歴史

ネオコン その2

新左翼とソ連との緊張緩和(デタント)への反対

最初の社会政策批評家の重要なグループが労働者階級から出現してから、元祖ネオコン(まだこの言葉は使っていない)たちは、基本的に社会民主主義者か社会主義者でした。元祖ネオコンの彼たちは第二次世界大戦を強く支持しました。

元祖ネオコン思想家の1人、アーヴィング・クリストルやノーマン・ポドレツは、『コメンタリー誌』に関係していました。

初期ネオコンたちは反スターリン主義者でもあり、1950年代~1960年代初頭の時期に公民権運動・キング牧師を強く支持していました。しかし、彼らはジョンソン政権のいう「偉大な社会」に幻滅を感じて、1960年代のカウンターカルチャーを軽蔑しました。そして彼らは、ベビーブーマーの間、とりわけベトナム反戦運動や新左翼運動の中に、反米主義が広がっているのを感じました。

アーヴィング・クリストル(『コメンタリー誌』の元編集長で、ワシントンのアメリカンエンタープライズ研究所の上級フェロー。タカ派雑誌『ナショナル・インタレスト』の出版者)によると、ネオコンは、「リアリティに襲われたリベラル」ということです。

イスラエルとネオコンの関係

ネオコンを支えているのは、共和党の親イスラエル(シオニズム)政策を支持するアメリカ国内在住のユダヤ(イスラエル)・ロビーです。アメリカのユダヤ系市民はアメリカの総人口3億人に対して600万人にも満ちていませんが、その内で富裕層の割合が非常に多く割合を占めています。

そしてアメリカの国防・安全保障政策に深く関わっています。ユダヤ系は、歴史的に数多くの差別を受けてきた経緯からかつてはリベラル派の民主党支持者が多かったのですが、民主党のビル・クリントン政権が進めた中東政策に対する不満から、共和党に鞍替えしている有権者が多く見られます。共和党の掲げる中東の民主化政策が結果的にはイスラエルを利することになるからです。また、同時にイスラエルの右派政党リクード党も共和党と利害が一致しているため手を結ぶことが多くあります。このような経緯から、2001年に登場した共和党ジョージ・W・ブッシュ政権には数多くのネオコンが参入していて、同時多発テロ以降の強硬政策を推し進めていきました。

アメリカ合衆国の保守合同

アメリカ合衆国の保守の立場を採る組織や個人の間では、必ずしも利害が共通しているわけではありませんでした。特に伝統主義とリバタニアニズムはしばしば対立しています。例えば、キリスト教精神に重点を置く伝統主義者やキリスト教原理主義者と、完全なる自由競争を唱えるリバタリアニズムの間で、政治的対立を引き起こしています。

しかしリバタリアニズムを信奉する人物がキリスト教の中絶・ゲイ反対に賛同していることからもわかるように、必ずしも両者が激しい意見の相違があると決め付けるのは誤りです。

また、外交政策や安全保障政策に重大な関心を払わない(モンロー主義や孤立主義を提唱する)伝統主義者や、リバタリアニズムの対外不干渉主義は、反共主義者の積極介入主義との間で、極めて深刻な政治対立を引き起こすことになりました。

この保守思想の分裂を1つの大きな「保守主義」としてまとめあげることに成功したのが、1955年(昭和30年)に創刊されたナショナル・レビューという雑誌です。この雑誌は伝統的な保守派だけではなく、リバタリアンやウィルモア・ケンドール、ウィリー・シュラム 、ジェームズ・バーナム、フランク・マイヤーのような元左翼も集結させた点が特徴でした。

この雑誌の編集者のウィリアム・バックリー・ジュニアは、上記3つの保守派に対して、それぞれの問題の起因はリベラリズムにあると主張しました。「リベラリズムは反共主義者の嫌う共産主義を容認して、リベラリズムは伝統主義者の嫌う伝統の破壊者でもあり、リベラリズムはリバタリアニズムの嫌う大きな政府の支持者である」として、リベラリズムと対立する3つの異なる保守の合同に成功したのです。この試みは1960年代(昭和35年)のアメリカの保守主義運動と連動して、1つの潮流を作り出しすことになりました。

大統領候補者の演説

1964年(昭和39年)に、共和党大統領候補バリー・ゴールドウォーターの有名な演説が行われました。

「自由を守るための急進主義は、いかなる意味においても悪徳ではない。そして、正義を追求しようとする際の穏健主義は、いかなる意味においても美徳ではない」

保守派はこの演説を大歓迎しました。そして、このゴールドウォーター演説に影響された多くの保守派の政治家が、アメリカの次代を担うことになります。

また重要な指摘として、それまでの共和党は現在のような保守主義ではなかったという点があります。共和党が保守派を利用したのではなく、保守派が共和党を利用したのです。これによって、共和党の保守化が進んでいき、1980年代(昭和55年)のレーガン政権誕生へと繋がっていきました。

2001年(平成13年)、保守派は「思いやりのある保守主義」(共産党からの転向者のマーヴィン・オラスキーが「思いやりのある保守主義の父」とニューヨーク・タイムズで呼ばれている)を掲げて、それらの政治勢力に後押しされる形でブッシュ政権が誕生しましした。そしてそのような背景や思想を持つ人たちがブッシュ政権の中枢を担うことになりました。