ルイス・リビーとアーミテージ

プレイム事件で2年6ヵ月の実刑判決を受けましたが、大統領権限で減刑されたルイス・リビーと、親日家で知られているアーミテイジ。プレイム事件ではこの2人も外すことは出来ません。

ルイス・“スクーター”リビー

1950年(昭和25年)8月22日生まれで、 コネティカット州・ニュー・ヘイブン出身です。イエール大学を1972年(昭和47年)に卒業。1975年(昭和50年)コロンビア大学法科大学院法務博士課程修了。1981年(昭和56年)国務省に勤め始めています。アメリカ合衆国の政治家で弁護士です。ユダヤ系アメリカ人で、ハリエット夫人との間に2人の子供がいます。ネオコンの論客の一人です。

英国ウィンストン・チャーチル元首相の熱烈な崇拝者で、補佐官時代には執務室にチャーチルの肖像画を掲げていたほどの崇拝者です。「奴隷の平和」を非として、国防次官補の職だった1992年(平成4年)にはポール・ウォルフォウィッツ(ユダヤ系政治家で、第10代世界銀行総裁)と共に、圧政国家への先制攻撃や、ミサイル防衛の導入、WMDの拡散防止のため全ての選択肢を放棄しない、などを明記した国防文書・「国防政策指針」の作成に関与しました。

同指針は、ブッシュ政権下で2002年(平成14年)に確立されたブッシュ・ドクトリンの原点となりました。1993年(平成5年)の共和党が下野した後はアメリカ新世紀プロジェクトの立ち上げに関与しています。とりわけ、イラク戦争については当然ながらもっとも強硬にその大義を説いて、アメリカ同時多発テロ事件直後に、プラハでモハメド・アッタとイラク諜報員との極秘接触が報じられると、即座に対イラク開戦の論陣を張りました。

イラク戦争絡みのプレイム事件では情報漏洩問題に間接的に関与していたとして、偽証罪で起訴されて、2年6ヶ月の実刑判決を受けましたが、大統領権限で保護観察と罰金刑に減軽されました。

過去には日露戦争時の日本を舞台にした小説を出版して話題を集めています。2008年(平成20年)6月には日本を訪問して、ジャーナリストの櫻井よしこらと意見交換しています。その中では、ブッシュ政権の対北朝鮮宥和政策に対して、強い懸念が示されました。

リチャード・アーミテイジ その1

とっても恰幅の良い身体で、日本のニュースにもよく出ていたのでその姿をすぐに思い出すことができます。ベトナム戦争の時の出来事が、シルベスタ・スタローンのランボーの題材ともなった人物とも言われていわれた軍人でもあります。知日派として日米外交にとても大きな役割を果たしました。

家族はローラ夫人との間に3男1女がいます。その他にもベトナム系・アフリカ系移民などの子供たちを養子として育てています。恰幅の良い身体は、趣味のウエイトリフティングで作られています。ベンチプレスでは440ポンドを上げた記録を持っています。その他にもアメフトもウエイトリフティングと同じく大学時代からの趣味です。

人物と経歴

1945年(昭和20年)4月26日、マサチューセッツ州ボストン生まれでカトリック信者です。 1967年(昭和42年)アナポリス海軍兵学校を卒業後(海軍少尉)してから、ベトナム戦争に従軍しています。1973年(昭和48年)パリ協定の成立を知って停戦を拒んで除隊しました。

その後は、国防省情報部員としてサイゴンやテヘランなどで勤務しました。上院議員だったボブ・ドール(のちに大統領候補)の秘書などを経て、1981年(昭和56年)からはロナルド・レーガン政権の国防次官補代理、1983年(昭和58年)から1989年(平成元年)までは国防次官補を務めました。その後は政策コンサルティング会社「アーミテージ・アソシエイツ」の代表をしています。2001年(平成13年)に発足したジョージ・ブッシュ政権下では2005年(平成17年)1月まで国務副長官を務めました。

国防戦略の専門家で、共和党穏健派の重鎮として知られていて、コリン・パウエル国務長官(当時)とともに国務省内で絶大な信頼を置かれていました。現在は政治コンサルティング会社である「アーミテージ・インターナショナル」の代表を務めています。

2006年(平成18年)9月21日放送のCBS “60 Minutes”でパキスタンのムシャラフ大統領は、2001年(平成13年)のアメリカによるアフガニスタン侵攻の際に協力しなければパキスタンを「石器時代に戻す」とアーミテージから脅迫されたと告白していますが、アーミテージ自身は直後に「そのような表現は使っていないが、かなり強い言葉で要請したのは事実」とムシャラフ大統領の発言を認めています。

パウエル国務長官とともに、イラク戦争の開始に反対しています。国務副長官を辞任した動機として、「ラムズフェルドを閣内に残して、パウエルを辞めさせる政権にはついていけないと思ったから」と語っています。ただし、1998年(平成10年)に新保守派のシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト」からクリントン大統領に宛てて出された、当時の米国の対イラク政策を批判して、フセイン政権を武力で打倒するよう求める書筒にラムズフェルドらと一緒に賛同人として署名しています。

2003年(平成15年)7月に、インタビューでCIA工作員の身元を漏洩してしまいます。(プレイム事件)このことに関しては2006年(平成18年)9月のインタビューで「大統領、国務長官と国務省、家族に申し訳ないことをした」と述べていて、自分に非があるということを認めています。

2008年(平成20年)アメリカ大統領選挙では共和党ジョン・マケイン陣営に属しました。外交とくにアジア外交政策の政権構想に関与しています。ジョン・マケインとは共に米国海軍の出身ということや、ベトナム戦争への従軍などの共通点がみられます。国務副長官就任前の上院での審議では、マケインやジェシー・ヘルムズから賛辞の声が相次いでいました。