ディック・チェイニー副大統領

チェイニー副大統領 その2

国防長官

ロナルド・レーガンの後継となったジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(パパブッシュ)は、国防長官に当初ジョン・タワー元上院議員を指名していました。しかし、その後タワーに女性・飲酒問題が浮上して議会で同人事案が否決されました。

当時は民主党が上下両院で過半数を占めていたため、調整能力のあるチェイニーが代わって浮上しました。1989年(平成元年)3月に正式に国防長官に就任しました。1990年(平成2年)8月にイラクのクウェート侵攻(クウェートをイラクの19番目の県として併合)が行われると、イラク軍のクウェートからの撃退のために、隣国・サウジアラビアとの関係強化を図って、中央軍・第3軍の駐留に合意します。翌年1月の湾岸戦争を、ノーマン・シュワルツコフ、コーリン・パウエルらと主導しました。

ハリバートン

アメリカのハリバートン社の経営にも1995年(平成7年)~2000年(平成12年)までCEOとして参加していました。ハリバートンは世界最大の石油掘削機の販売会社でもあるので、イラク戦争後のイラクの復興支援事業や、アメリカ軍関連の各種サービスも提供していることから、湾岸戦争とイラク戦争で巨額な利益を得ることになりました。ちなみにチェイニーは、この会社の最大の個人株主でもあります。

チェイニー副大統領とハリバートン社の利害関係を問題視するマスコミもBBCなど存在しています。アメリカ政府と10億ドルの契約がなされた際には、縁故資本主義が指摘されました。その後不当な戦時利得を得ているとされてきて、アメリカ政府に何百万ドルも返還する事になりました。

ジョージ・W・ブッシュ政権

2000年(平成12年)の大統領選挙前にジョージ・W・ブッシュ(当時テキサス州知事)から副大統領候補を推薦してくれるように依頼されました。そしてそのまま自分を推薦して副大統領となりました。

同年に行なわれた大統領選の討論会では、論争に強くないブッシュがアル・ゴアも前に劣勢を強いられていましたが、チェイニーは反対にケンタッキー州で行われた10月の討論会でジョー・リーバーマン上院議員を論破します。また、同選挙戦の際にユーゴスラビアでは革命が勃発して、スロボダン・ミロシェビッチ政権が崩壊することになりましたが、ブッシュとチェイニーは米国は基本的に静観の構えを採るべきであり、影響力を有するロシアの仲介を重視すべきだとしました。これは、9・11後に、ブッシュ政権の外交政策が大きく介入主義へと転換したことを物語ります。

2001年(平成13年)、第43代ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領の副大統領となりました。小泉純一郎・元首相との会談をこなしたり、フロリダ州立大学の卒業式に参加したりと多忙な日々を送りました。フォード、ブッシュ(子)両政権で、国防長官であったドナルド・ラムズフェルドとは30年以上もの師弟関係にあります。

2005年(平成17年)10月から、副大統領・首席補佐官ルイス・リビーがイラク戦争に批判的だったジョゼフ・ウィルソンの妻ヴァレリー・プレイムがCIA工作員であると身元を漏洩したとしてアメリカの連邦大陪審が起訴し、更に副大統領も情報漏洩に関与されている疑いが持たれています。(プレイム事件)

2007年(平成19年)2月20日より訪日して、(第一次安倍内閣)安倍首相や麻生外相と会談しました。外交、国防政策に関して意見を交わしますが、久間章生防衛大臣との会談は行わずに、在日アメリカ軍横須賀海軍施設で自衛官(制服組)トップの齋藤隆統合幕僚長を始めとする自衛官幹部と会談しました。

自衛隊では「日程の都合」と説明しています。また、横須賀港では空母キティホークにアメリカ軍の兵士を集めて、「アメリカ国民は(イラクからの)撤退を支持しない」と演説しました。ジャーナリストの青木直人や須田慎一郎の取材によると、同会談の際に、チェイニーは拉致問題に対する落し所(つまり、同問題の解明・解決と核開発の放棄を包括的に解決した後、北朝鮮との国交正常化を目指すとした日本政府の政策転換を要求したもの)を安倍に迫ったことが明らかになっています。しかし北朝鮮は2009年(平成21年)5月25日に2度目の実験を実施しました。

時折心臓発作で入院することもありますが、とても精力的に活動していました。そのため在任中は、「史上最強の副大統領」ともあだ名されています。チェイニーは就任当初から自らの大統領への野心を否定し続けてきましたが、そのこともあってブッシュの篤い信頼を勝ち得ることになり、政権内で絶対的な№2の地位を維持し続けることになりました。

一方で民主党への政権交代が決定した後の2008年(平成20年)12月に、CNNが行った世論調査によるとチェイニーが副大統領としての能力に劣っているとの回答が41%を占めた他にも、「史上最悪の副大統領」だとする意見が23%にのぼりました。

2009年(平成21年)7月、極秘の対テロ作戦実行を、議会には隠すよう中央情報局(CIA)に指示していた事が発覚しました。

チェイニーの持病と家族

チェイニーは、37歳の頃から心臓病の持病を抱えていて、副大統領在任中までに5回もの心臓発作を起こしています。1988年(昭和63年)にはバイパス手術を受けた経緯があります。

2010年(平成22年)6月に、ワシントンD.Cの病院で冠動脈疾患の治療を受けています。翌月の2010年7月には、バージニア州内の病院で心臓に補助ポンプを埋め込む手術を受けています。経過は良好で8月の第1週に退院しました。

チェイニーは高校時代からの恋人だったリン・アン・ヴィンセントと結婚しています。娘が2人、エリザベス・メアリーいます。そして6人の孫がいます。

次女のメアリーは自身が同性愛者であることを公表して、イラクの反戦運動にも参加しました。共和党は道徳価値として反同性愛を掲げていますが、ブッシュは副大統領候補指名するとき際してこの件を特に問題とはしませんでした。メアリーは2007年と2009年に人工授精で二子を出産しています。女性のライフパートナー(伴侶)のヘザー・ポーと育てています。

チェイニーエピソード

1.若い頃に、飲酒運転による逮捕歴があります。ブッシュ大統領も飲酒運転での逮捕歴があることから、正副大統領で飲酒運転による逮捕歴があることになりました。

2.保守タカ派の一人として知られていますが、兵役を留学や結婚を理由に何度も拒否しているため、チキンホーク(腰抜け野郎)の1人として非難されることがあります。

3.妻のリン・チェイニーが以前から歌手のエミネムを非難していたことから、近年はエミネムがチェイニーの妻とディック・チェイニーを非難する曲を発表しています。

4.2006年(平成18年)2月11日の狩猟中に、友人の弁護士を誤射して重傷を負わせる事故を起こしました。この事故に関しては、マスメディアに情報が漏れるまで公表していません。この時には酩酊状態であったと報道されています。このニュースは、全米で瞬く間にジョークのネタとなり、ブッシュ大統領も「どんな厳しい前途があったとしても、私はレームダック(死に体)にはならないよ。チェイニー副大統領に足を撃たれない限りね」とジョークを飛ばしました。

5.口癖は『fuck』やそれに類する表現です。議会で激高して叫んだ姿がテレビ中継にものったことがあります。

6.エドワード・スノーデンは2013年(平成25年)6月17日に行われた英紙ガーディアンのネットフォーラムで、オバマ大統領を批判する一方で、自分を裏切り者と呼んだチェイニーついては激しい言葉は使わずに、「ディック・チェイニーに裏切り者と呼ばれるのは米国民にとって最高の名誉だ」と書いています。

7.2009年(平成21年)1月20日に行われたバラク・オバマの第44代大統領就任式へは、車いすに乗って出席しました。これは前日1月19日に、新居への引っ越し作業を行っていた時に背中を痛めてしまったことが原因です。