関係する本 その1

ヴァレリー回顧録出版

映画化される前に、一連の裁判などが全て終わった後に「フェア・ゲーム」まさに「かっこうの的」になったヴァレリー・プレイムが回顧録を出版しまた。その出版もヴァレリー・プレイムがCIAを相手に裁判で回顧録の出版を勝ち取ったからです。

当初CIAでは、ヴァレリー・プレイムに回顧録の出版を許可しませんでした。そこで彼女は2007年2月に自身の元職場でもあるCIA相手に裁判を怒ました。そして2007年8月初旬に回顧録出版の許可を勝ち取ったのです。どう考えても被害者であり、犠牲になったヴァレリー・プレイムを守るどころか解雇したCIAはどうして回顧録の出版を許可しなかったのか?!と首をかしげてしまうばかりではありますが、無事日の目を見ることができて良かったと思います。

そして、CIA側が回顧録を公開するために条件までも提示しました。それは、彼女がCIAに勤務していた詳細で具体的な期間については言及してはいけないということでした。ホワイトハウスの陰謀ともいえるプレイム事件にはホワイトハウスの高官も関与していたため、CIA工作員名漏えい事件に伴う議会調査もあったのでヴァレリー・プレイムがCIAに勤務していた期間やどこの部署にいたかなどのほとんどは知れ渡っているにも関わらず、具体的な期間については言及してはいけないという条件を出したCIAを不思議に思うばかりです。

当初は8月の刊行予定でしたが、CIAの検閲済みも終了して2007年(平成19年)10月22日に正式に発売となりました。

HUBRIS その1

『HUBRIS』というベストセラーになった書籍があります。そしてこの本には、ブッシュ政権が巧妙に情報工作をしていた活動をイラク侵攻前にしていたのをかなり詳細に書かれています。

この本でもヴァレリー・プレイムが登場していてヴァレリー・プレイムの詳細な経歴が紹介されていました。

『HUBRIS』によると、スイス系アメリカ人としてペンシルバニア州ハンティントンバレー生まれ。父は国家安全保障局(NSA)勤務経験がある空軍中佐で、母が小学校教師という家庭でヴァレリー・プレイムは育ちます。そしてペンシルバニア州立大学に在学中に学生結婚をしています。相手は学友のトッド・セスラーです。結婚した直後の22歳の時にヴァレリー・プレイムとトッド・セスラーの夫婦はCIAへ応募しました。

CIAに入社

2人はCIAから身辺調査を受けて無事合格をもらいCIAへ入社することになりました。諜報員となるための直業訓練課程に入る直前に、夫のトッド・セスラーは諜報員へなるための道を断念します。そして2人は離婚してヴァレリー・プレイムは1回目の結婚を終えています。

夫は断念しましたが、ヴァレリー・プレイムは引き続いてCIA諜報員を志願しました。そして工作員教育課程の最初の10週間の期間はアメリカ合衆国政府職員としての基礎訓練と、CIA職員としての基礎訓練を受けることになりました。彼女の著書ではヴァレリー・プレイムの聡明で美人な顔がカバー写真となっていますが、彼女が基礎訓練を受けたとき彼女は22歳で、同期生が45人いるなかでは最年少の訓練生でもありました。そして見た目のルックスの良さと聡明さからとてもモテた存在だったようです。

後にヴァレリー・プレイムと同期だった人物が取材を受けていて、同期入社のヴァレリー・プレイムの印象について『抜群の身体をした天然のプラチナブロンド』と表現しています。

カバー写真を見ても、彼女の美しさが確認できますがその彼女が若い時はまばゆいばかりの存在だったことが窺えます。

10週間に渡る基礎訓練課程が修了すると、次はバージニア州ウィリアムスバーグのCIA軍事教練施設で基礎軍事訓練を受けることになります。このCIA軍事教練施設は、通称『ザ・ファーム』(パーリー演習場)と呼ばれています。ここでの訓練過程の期間は約1年弱の訓練を受けることになり、訓練生は迷彩服、軍靴、背嚢、その他を着用します。

かなりハードな訓練課程をこなさなくてはいけない、軍事教練過程では、マシンガン・ライフルの使用はもちろん、航空機からの降下もあり、敵対地域での行軍や敵対海域から工作員を極秘裏に上陸して国境を越えて侵入させる訓練もします。また爆発物の取り扱いもマスターして、RPG等各種武器の使用も繰り返し行います。さらには敵国で拘束された時の尋問に耐えるノウハウまでもをマスターします。ここでの訓練で『絶対に折れない心』をヴァレリー・プレイムは培うことになりました。

訓練終了してから

1986年秋頃(昭和61年)に、ヴァレリー・プレイムは無事、軍事訓練課程の『ザ・ファーム』を卒業して、正式にCIAケース・オフィサーとなりました。バージニア州マクレーンにあるCIAの本社勤務を3年経験してから、1989年(平成元年)にCIAギリシャ支局に派遣されました。

この時彼女はケース・オフィサーの業務をするために、身分は「オフィシャル・カバー」(OFFICIAL COVER)としての駐在でした。こののギリシャでの彼女の任務は駐在先の政府職人を米国のスパイとしてリクルートして、機密文書を盗み出すことでした。(リクルートされた人はCIA用語でエージェントと呼ばれる)

海外へ派遣されるときに、アメリカ以外の国で駐在するときには「オフィシャル・カバ―」の身分と、「ノン・オフィシャル・カバー」(NON OFFICIAL COVE)の身分がありますが、オフィシャル・カバーの身分の場合は、アメリカ合衆国職員としての外交特権が付与されています。よってオフィシャル・カバーの時には、大使館などの海外公館に国務省職員としてまたは武官として勤務形態をとります。もし仮に諜報工作がばれてしまったとしても、外交特権がついているので駐在している国で逮捕されることはありません。

ノン・オフィシャル・カバーの場合は、あくまでも民間人としてでの駐在となります。アメリカ政府とは無関係の職業を持っているということで駐在します。そしてもし諜報工作がばれてしまった場合には、民間人としてでの駐在なのでアメリカ政府からの保護を受ける事や、外交特権がないので駐在している国の法律に従って逮捕されて拘束されることになります。起訴されて裁判の結果次第では刑務所に送られる可能性ももちろんあります。

ヴァレリー・プレイムがギリシャ支局に勤務した頃の身分は、オフィシャル・カバーでの駐在でしたが、1990年代の初頭にはノン・オフィシャル・カバーの身分へ変わったといいます。そして彼女が2003年(平成15年)にッシュ政権の陰謀でCIA諜報員としての身元が暴露された時も、ヴァレリー・プレイムの身分はノン・オフィシャル・カバーでした。そして、彼女が所属していた部署は2001年~2006年の退任する時まで、CIAの大量破壊兵器拡散防止部門に所属していて、彼女の担当はイラク・イランの大量破壊兵器情報でした。